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逆転の世界①

 一瞬、何が起きたのか解らなかった。


 眼前に広がる赤。事態を完全に理解する前に、私は叫んでいた。


「イトノコギリ刑事ッ!」


***


「御剣検事! おはようございまッス!」


「うム。おはよう」


 いつも通りドタバタと執務室に現れたイトノコギリ刑事。もう少し静かに動けないのかと注意すると、あいすまねッスと頭を下げた。これもいつも通り。


 午後からの現場検証の打ち合わせに入る。


「今回の事件は、先日の連続殺人ッス。詳しい資料と証拠品はここにあるッス」


 『先日の連続殺人』———メディアでもそれなりに取り上げられた事件だ。


 被害者や凶器に一切の共通点はなく、現場に犯人の手掛かりもなかった。捜査は難航したが、唯一残された防犯カメラの映像を手掛かりに逮捕に至ったという。


 捜査資料に目を通す私の前で、イトノコギリ刑事はポリポリと頬を掻く。


「しっかし、今回の裁判もまた慌ただしいッスねー。なんで御剣検事のを指名したッスかねえ」


「仕方がなかろう。前の担当検事が急用とのことだしな。上の命令には逆らえん」


 検事局内では、この若さで地位と名声を手にしている私をやっかむ者も多く、そういう輩から嫌がらせを受けることも少なくない。資料を読み終え証拠品にも目を通すが、圧倒的に証拠品が足りない。今回の件も、知名度が高く面倒な事件を公判直前に押し付けようという魂胆なのだろう。


 一通り確認し終えた頃を見計らって、おずおずとイトノコギリ刑事が口を開く。


「その、前の担当検事のこと、ッスが…」


「? …どうしたのだ、イトノコギリ刑事」


「どうやら、キャンセルした理由が組織にオドされたからみたいッス…、で、その……」


「何が言いたい?」


 組織絡みである事も、彼が言いたい事も、容易に想像がついていた。逮捕された容疑者はどう見ても頭が回ると言ったタイプではないのに、犯罪は完璧に近い。かつ、取調中は酷く怯えた様子で、容疑の是認以外は一切口を開かないという。計画者と実行犯が別に居ると考えるのが普通だ。イトノコギリ刑事でさえ勘づいたのだ、この私が気付かないわけがない。『嫌がらせ』にしても度が過ぎると、小さく溜息をついた。


 全く動じない様子の私に少し戸惑いながらも、言葉を続ける。


「…この事件は危険ッス。せめて、現場検証は自分に任せて欲しいッス」


「キミ1人で何が出来るというのだ? 現場には犯人の痕跡がほとんど残っていないのだろう」


「それは…そうッスが、しかし…」


 事件から手を引けと言わないのは、恐らく言っても無駄だとわかっているからだろう。イトノコギリ刑事は仕事の面ではほとんど頼りにならないが、精神的に心地よい距離を保つのに長けている。ミスが多いこの刑事と離れられない理由のひとつだ。まあ、殆どの場合彼が勝手にくっついて回っているだけなのだが。


 無能だと言われしょんぼりと黙ってしまった刑事に言う。


「幸い犯人は容疑を認めているのだ。明日の裁判さえ乗り切れば何の問題もない。そのためには、確かな調査と決定的な証拠品が必要だろう?」


 イトノコギリ刑事は暫く考え込んでいたが、納得したのか、何を言っても無駄だと悟ったのか。微妙な顔つきで敬礼をした。


「それでは御剣検事、後ほどお迎えにあがるッス」


「うム、ご苦労」


***


「ここが最後の現場ッス」


 イトノコギリ刑事の運転で町外れの郊外に着いた頃には、もう陽が暮れていた。


 今日は御剣検事の傍を離れないッスよ! と刑事が言って聞かなかったため別行動する事が出来ず、予想外に時間がかかってしまったのだ。捜査は粗方終わっているのか他の刑事の姿は見られなかったため、人手が足りなかったというのも原因のひとつである。


「遅くまですまないな」


「御剣検事をお守りするのが自分の使命ッスからね! さあ、気兼ねせず隅々まで見て回るッス!」


 今までの現場から得られたものはほとんどなかった。敢えて言うのなら、組織の存在を強く認識させられたことくらいだろうか。それほどまでに、現場は完璧だったのだ。予想はしていたものの、気が重い。励ますようなイトノコギリ刑事の言葉に溜息を返して、検証に取りかかる。犯人逮捕に至ったこの現場が最後の手掛かりだった。


***


 捜査に熱中するうちに、日付は変わってしまっていた。他の場所に比べ残されていた痕跡は多く、気付くと随分と離れた位置まで来てしまっていた。証拠品の数は増えたものの、決定的と言えるものはなかった。明日の裁判は少々苦しいものになりそうだ。本日何度目かわからない溜息をつく。


 捜査を切り上げる準備をしながら、後ろを付いて歩く刑事に話しかける。


「イトノコギリ刑事、何か気になった点は?」


「え。そ、そッスね…」


 沈黙が支配する中、急に話しかけられた刑事は考え込む。…まさか、何も考えないまま付いて回っていたのだろうか。


 辺りを見渡して、顔をしかめながら答える。


「…なんとなくッスけど。ここに導かれた…そんな気がするッス」


「と、言うと?」


「ここは隠れられる場所が多くて人の気配がないッス。…こんなこと言いたくないんスが、誰かを始末するにはもってこいの場所ッス」


「ム…」


 縁起でもないことを言う。今日の彼は普段より心配性だ。考えすぎなのではないだろうか? しかし彼の言う事も一理ある。捜査している間は気付かなかったが、確かにこの現場には違和感があった。多過ぎる痕跡、導かれた場所…それらの意味するところは?


 違和感は思考を支配する。そして、考えうる最も最悪の展開に辿り着いたとき———


「御剣検事!! 危ないッスうううう!!!」


 ———銃声が響いた。


***


「イトノコギリ!! イトノコギリ刑事!! 確りしたまえ!!」


 気付くのが遅かった。ここまで導かれた真意は、我々…否、私を消す事だと。


 確かにこの一連の流れは仕組まれたもののようだった。公判直前の担当検事交代、誰もいない現場。そして最後の現場にのみ残されていた痕跡、導かれた場所…。そう、普通に考えれば、同じ組織が計画した事件であれば同様に痕跡は残っていないはずなのに。


 私を庇うように覆い被さった刑事に呼びかける。いつもの疲れたような笑みを浮かべているものの、顔面は蒼白だった。


「検事、動いたらダメッスよ……まだ、狙われているかもしれねッス…」


「しかし…!」


 何故、刑事の忠告を聞き入れず現場に来てしまったのだろう。何故、もっと早く気付けなかったのだろう。何故、何故———。頭の中が真っ白で、刑事を支えようと彼の背中に回した手は情けないほどに震えていた。


 自責の念に駆られ停止しそうな思考を、ぬるりとした感触が現実に引き戻す。今は後悔している場合ではないのだ。救急車を呼ぼうと震える手で携帯電話を探り当てたものの、電波はなかった。舌打ちをする。


 と、奥の方から物音が聞こえた。犯人の足音だろうか、遠ざかって行くように感じる。


「…罠かもしれねッスよ…、検事、まだ様子を見て…」


「馬鹿者! 悠長な事を言っている場合か! 逃げるぞ!」


***


 その後のことはよく憶えていないが、恐らくは車まで逃げて救急車を呼んだのだろう。幸いな事に、立ち去る足音は罠ではなかったようで、追撃はなかった。


 真っ白な病室で、真っ白な顔色で眠る刑事の顔を眺める。傷は深いが、命に別状はないとのことだった。


「…この、不届き者が…」


 誰に言うわけでもなく、呟く。


 時計を見遣ると、時刻は朝の4時過ぎだった。

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