愛について
- crimson1117 & chome_17
- 2018年12月28日
- 読了時間: 2分
愛とは、依存ではないのか。
中学生の時、ネットにそう問い掛けたことがある。
タクティクスアイランドというゲームの世界の『字伏』さんは、そんなことはないと教えてくれた。
今となっては連絡先すら知らないその"人生の先輩"に教えられた言葉は、10年以上経つ今でも心の中に残っている。 (スクリーンショットとしても遺っているが、無粋なので掲載は避けておく)
愛とは、依存ではない。 では、何なのか。
自分なりに考えてみた答えは、下記の通りである。
・愛とは、受け渡し可能である ・ただし送り手と受け取り手によって定義が異なる場合がある ・多いことが良いとは限らない ・リターンが得られるとは限らない
愛が一瞬で憎悪に変わる、といった話も聞くことがあるが、それは注いだ愛情を裏切られた/或いはそう勘違いした場合に起こり得ることだと思う。
こういった話を親にするとマトモに取り合ってもらえないが、それはある種"家族愛"の在り方が歪んでいると(此方は)思う。
真面目に話そうが、ちょっとしたニュースの感想として漏らそうが、我が家ではそう言った『愛を否定する話』は黙殺されてしまう。
恐らく順序だてて話せていない此方にも非はあるのだろうが、子供の問に対して真摯に向き合わないのは親として如何なものだろうか。
愛とは何なのか。 何故両親は出会い、結婚し、子を授かったのか。
そこに多少なり浪漫を求めてしまうのは、子の性なのかも知れない。
余談: 我が家の場合は大学時代に出会って恋に落ちたという、比較的よくあるパターンである。 お陰で生まれは熊本 育ちは秋田と、日本の端と端が『実家』になってしまい、長期休みの時は飛行機を乗り継いで親戚の家に遊びに行ったものだ。 因みに秋田&熊本の組み合わせは野原家と同じである。
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