今日という1日の意味
- crimson1117 & chome_17
- 2018年12月31日
- 読了時間: 3分
今日は、三回忌。
私が自ら命を断とうと決めていた日から、丸2年が経った。
*・*・*
あの時の自分は、生き急いでいた。 "精神病"を隠れ蓑にして、ぬくぬくと息をする。 そんな自分にも、周りにも、うんざりしていた。
鬱は甘えではない、 それは言われたから"知っている"こと。 でも、自分の生活に当て嵌めると、明らかに甘えていた。
ヨクウツジョウタイという病名に。 働かなくてもいいという環境に。
死にたくもないが、生きたくもない。 ただ暇を潰すためのゲー無をしながら、好転しない現状を嘆いていた。
しかし、誰かのせいにはしなかった。 悪いのは自分だと、そう考えるのは最早癖を通り越して呼吸することと同義だった。
だから、息が苦しかった。 忍びのように隠れながら、親から認められない趣味"ゲーム"を貪る日々。
ゲームがなくても生活に支障は出なかったからそれは『依存性』ではなかったが、 部屋で隠れてゲームをしている時間の量は、『依存』と言っても過言ではなかった。
*・*・*
その日は、弟と電話していた。 ただ1人の弟。
電話の向こうで彼は、正確なところは忘れたが凡そこのようなことを言った。
「生きててもいい」のだと。
その一言で、私の世界は変わった。 醜く汚かった世界が、色を取り戻した。
病名で言えば"躁転"状態といったところだろうが、 そんなことはどうでも良かった。
鬱々とゲームに明け暮れていた生活に別れを告げ、 家の外に出掛けるようになった。
突然の変化に、家族からは異質なモノを見る目で見られたが、 やりたいときにやりたいことを、 書きたいときに書きたいことを、 したいときにしたいことをした。
友達にも会った。 イラストも描いた。 遠くに出掛けたりもした。
あの時は、毎日が輝いていた。
*・*・*
それでも、一番したかったことはカタチに出来なかった。 否、カタチには出来たが、長続きしなかった。
何のことかというと、ブログである。 (当時作ったブログはプロフィールにsampleとして遺してある)
作った当時は、書きたいことが溢れてきて、時間が足りないくらいだった。
しかし恐らくは薬の作用や、(当時)理解の薄かった家族と接しているにつれ、熱量は下がっていった。
少なくとも突発的に自殺などするような気分では無かったが、 話しても伝えられなかった。 客観的に見て、幼児退行していたように思う。
本当に、生きててもいいのか。
そう自問するようになると、一瞬で世界は戻っていった。
*・*・*
親からすれば、当たり前の反応だったのかもしれない。 医者からすれば、当然の処方だったのかもしれない。
だから、私は悲しかった。 ただひたすら、悲しみの中を漂っていた。
生きたいと願ったときに、 生かせてもらえない。
逝きたいと頑張ったときに、 死なせてもらえない。
したいことの無いままに、 伝えたかった事だけを遺して、 ブログは寂れていった。
*・*・*
実はこの頃は、色んなことにチャレンジもしていた。 まず、Facebook。 その後も何度か発散の場としてお世話になっている。
そして、手芸。 レジンに手を出したのも、この頃だったように思う。
物欲も出てきたため、買い物もよくしていた。
そうしてカタチに遺っているものを、現在は再発掘している。
*・*・*
扨、 長くなったが今日は命日である。
祖母の弟が亡くなってから、 今日で三回忌になる。
どのような人物だったか、詳細は既にFacebookに掲載しているので割愛するが、 実に立派で誇りに思うヒトだった。
彼のように生きて逝きたい。
毎年この日になると、そう願わずには居られない。
*・*・*・*・*
余談: この件については、カウンセリングを通し、既に家族とは和解している。
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